自分は世界中を旅しながら、
世界や日本の状況を見て考え続けてきました。
「人々はこの自然と共にどのように生きていけばいいのか」
しかし、
知れば知るほど矛盾にぶつかり、
考えれば考えるほど全てに辻褄を合わせる事など出来ず、
社会の進むべき道は霞んで見えなくなります。
正直に言って自分には、
日本や世界が、どちらに舵を切るべきなのか全く分かりません。
しかし、それは全ての人間に共通の事です。
知識や思考力、権力、財力、影響力に違いはあっても、
世界の全ての現象を前にすれば等しく小さな存在です。
誰にも全てを知り、絶対的に正しい答えを出す事は出来ません。
しかし、だからこそ、
日本や世界中が大きな問題に直面している今、
我々全員が全ての人々の為に目指すべき事はっきりと分かります。
それは、
「人々が勇気と強さを持って共に在ること」
言い換えれば
「人が別れて敵対しない事」
意見が違っても、理解できない事があっても、人は愛を持って生きています。
憎んだり、嫌ったりして対立する事からは、問題を乗り越えることはできません。
正解はないからこそ、あらゆる意見を尊重し、共に最善を「決め」なければなりません。
いま、
世界中で起きている問題も
日本の中で起きている問題も
家庭の中で起きている問題も
人と自然との間で起きている問題も
解決を目指すとき、
別れて敵対する事が最大の障壁になってしまいます。
自分の最善だと思う選択肢を選び取れない事以上に、
人と人とが敵対する事は、
さらに力強く平和な社会を遠ざけます。
経験も知識も考え方も違う人間の意見が違うのは当たり前の事。
意見が違えば反対の意見を言うのは当然必要な事です。
しかし、意見が違うからと言って、敵ではありません。
同じく自分の家族や子どもを想って生きている人間です。
最善だと思う手段が違うだけで、自分の家族や、国、人類、地球を思う仲間です。
意見が違うと言う事は、知っている事が違うと言う事。
そう言う人とこそ、対話による実りが多いのです。
同じ経験をして来た人はどこにもいません。
人の数だけの違う意見があります。
社会と言う枠組みで、目に見える大きな対立の為に別れて味方になったとしても、
大きな対立が収まれば味方同士だったはずの人々で対立が起こります。
当然の事です。
人の数だけの違う意見があるのです。
だからこそ、皆で何かを決める時には、反対するとしても敵対せずに話し合う事が必要です。
全員が違う意見を持っているからこそ、
全員を意見の違う仲間だと理解し合わなければ、平和はありません。
意見や手段を異にする人を敵視すれば、
世界に存在が自分だけになるまで争いは終わりません。
自身と世界の平和の為に、
まず自分から、世界を味方だと認識して対話しなければなりません。
そしてその上で、決まった事には恨みを持たず、
新しい現状での最善を考え、その実現の為により良いビジョンを作り人々に伝える事が必要なのではないでしょうか。
平和を望まない人や、人の事を大切に思わない人も中にはいるかもしれません。
しかし、それは少数派です。
そしてそのような状態になっているのはその方だけのせいではありえません。
あらゆる物事の背景に社会や心の現象の連鎖があります。
世界のあらゆるものに影響されて、今その人が存在しています。
何一つ個人のせいではありえません。
そして、戦争を望んだり、人や自然を短期的、限定的視野で破壊する少数の人々に、
心からの幸せはありません。
その人たち自身が苦しみの中にあります。
そして、それは彼らだけのせいではないのです。
我々自身ですらその原因の一部になっています。
助けるべき相手で、敵視すべき相手ではありません。
何が人の幸せか、
世界中を周る中で、子どもたちに教えられました。
子どもたちは地域も宗教も地位も立場も関係なく、
笑い、人の笑顔を喜びます。
そこに人の原点があるのではないでしょうか。
「人が別れて敵対する事」からは誰も幸せを得る事は出来ません。
世界の為にも、自身の為にもならないのです。
自分自身の恐怖や怒りや無知に負けない「強さ」が必要とされています。
許し、理解し、愛する「勇気」が自身や人々を助けます。
人々が、人や自然と
勇気と強さを持って共に在れる時代を目指しませんか。
対立と支配ではなく、
認め合い、理解し合い、学び合い、
調和して行ける世界を目指しませんか。
この前提を世界中の人々と共有した上で、
大いに学び、意見を交わして、敵視せずに対話し、
自分の意見が通らなくても恨まずに、
一つ一つの舵取りをして行きませんか。
それが、
自分の為にも
家族の為にも
日本の為にも
世界の為にも
自然の為にも
それら全ての為になる事だと信じています。
そして我々には、それが可能だと信じています。
人と人、人と自然が調和した世界を共に目指せる事を願って。
ありがとうございました。
○○○○
命の際と対面する機会を頂いて。
もし今日が命の最後の日だとしたら、
自分は何をするだろうかと考えたとき、
望んだのはこの想いを一人でも多くの方と共有する事でした。
『人々が勇気と強さを持って共に在れる事』
ここまで生きて来た自分の命に万が一の事があっても悔いが残らないように、
魂を込めて言葉をここに残します。
立志塾を通して、人と人、人と自然が調和した世界を創ることを目指します。