武士道とは何も国や主君に忠節を尽くす道だけを指すのではなく、

弱き己を律し、強き己に近づこうとする意志、

自分なりの美意識に沿い精進する

その志をさすのです

ー吉田松陰ー

 

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(もうちょいカッコいいの書けたらまた更新します!)

武士道。

僕の人生のテーマでもあります。

mutimutinoti.hatenablog.com

 

前にはこんな記事も書きましたね…なんか拙い(笑)

 

さて、武士道というと古臭いイメージでしょうか?

いまでは役に立たない思想だと。

 

否!

断じてそんなことはない!

 

というわけで今回は武士道の概略と自分なりの解釈などを書いていきたいと思います!

 

[:contents]

 

武士道とは

有名な新渡戸稲造の『武士道』。

それが語源ともいわれています。

しかしそもそも武士道とは、新渡戸稲造が成文化する前に、不文律として日本人が古来から育んできたもの。侍のあるべき姿のことです。それは日本固有のものとして他国にはないものです。

 

なぜなら、武士道の拠り所は「神道」「儒教」((儒教とは古代中国の思想。孔子や孟子といった諸子百家が有名。具体的な徳として「仁、義、礼、智、信」の五常や、「父子、君臣、夫婦、長幼、朋友」に対する敬愛としての五倫がある。))「仏教」が入り混じったものだからです。

 

mutimutinoti.hatenablog.com

( 儒教についてざっくりとした解説です。)

また、騎士道における「ノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)」と近いものとも言われています。

 

つまりは武士道とは、武士が階級が下のものに「あるべき姿」を示したものと言えます。

では、あるべき姿とは何でしょうか。

それが「徳」のある人です。

 

mutimutinoti.hatenablog.com

 

武士道における徳は、新渡戸稲造の『武士道』によると、7つ挙げられています。

それを順に軽くですが解説していこうかと思います。

(それぞれの徳目についてまた別で詳しい記事も書こうかとも思っています。)

 

まずは「義」についてです。

なじみがある言葉でいうと正義に近いでしょうか。

 

ただ、正義というと正と誤の二元論的な関係が生まれてしまいます。

どちらかが正しく、どちらかが誤りであると。

 

それは争いを生んでしまいます。立場が違えば正義も異なるのです。

今も続く宗教戦争や民族紛争、冷戦などのイデオロギーの対立も、この二元論的な考えから端を発していると言えるでしょう。

 

ただし、は違います。

両方の立場から見て理があることが義です。

人間としてどうふるまうべきか。天に背いていないか。

 

武士の言葉ではよく「天」という言葉がでてきます。

夏目漱石の「則天去私」や西郷隆盛の「敬天愛人」。

福沢諭吉も『学問のすすめ』で「天は人の上に人をつくらず…」という余りにも有名な言葉を残しています。

 

武士の中では、天を敬い、天に恥じないための行動が義という徳だったのです。

 

行動に対して義がなければ問答無用で切り捨てる。

そんな武士としての力強さを感じる徳目です。

 

 勇

勇とは読んで字のごとく、勇気のことです。

義とは双子の徳と言われています。

 

孟子の言葉

「義を見てせざるは勇無きなり」

に見られるように、義を実行に移すために必要な徳が勇であったのです。

ちなみにこの言葉は吉田松陰が、書き起こして常に身に着けていたと言われています。

 

正しい!と思ったことや、あんなのは間違ってる!と思ったことも、

勇気をもって言葉や行動に示せなければ、それは義とは言えないのです。

 

かくすれば かくなるものと 知りながら

已むに已まれぬ 大和魂

 ー吉田松陰ー

たとえ殺されるとわかっていようとも、それが義であり、天の道に沿っているならば

勇気を持って行動に移す。いや、行動せずにはいられない。

そういう強さを持ちたいですね!

 

この徳目が一番イメージしにくいかもしれません。

仁とはもともとは儒教の中で、義とならんで最高の徳です。仁義という言葉もありますね。

キリスト教でいうならば「愛」

仏教でいうならば「慈悲」

 

つまりは、思いやる心です。

 

孟子は仁義について

「仁は人の心なり、義は人の道なり。」

と表現しています。いやあ的確な感じ。

義は男性的、仁は女性的とも言っています。

なんとなくイメージがついたでしょうか。

 

仁とは自他の区別をなくすこと。子曰く

「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ。」

 

相手の立場に立ち、その求めを知り、慮った行動や言葉をかける。

そんな暖かさを感じる徳目です。

mutimutinoti.hatenablog.com

(こちらの記事も参考にどうぞ!)

礼とは、礼儀作法などや法律など、行動規範を守ること。

本来的には、仁や義などを見える形(行動)として示したものと言えるでしょう。

 

武士道の礼の名残は今の茶道や剣道が分かりやすいかもしれません。

決まった型の通りに美しく。

 

以前に紹介した小笠原流などはまさに礼と言えると思います。

mutimutinoti.hatenablog.com

 

しかしその記事にも書きましたが、あくまでも仁や義といった心構えが根本、大前提であり、礼は枝葉にすぎません。

 

新渡戸稲造もこのように述べています。

「真実性と誠意がなければ、その礼は道化芝居か、見世物のたぐいである。」

 

どんなに形が正しくとも心がこもっていないならば、

それは見せかけの礼にすぎず、何の意味もないのです。

 

また、礼は時代とともに移り変わるもの。

心を正すことが最善だと僕は思います。

 

誠とは、誠実さのことです。

自分にも他人にも嘘偽りのないことです。心に曇りのないことです。

 

誠は天の道なり。

誠を思うは人の道なり。

至誠にして動かざる者は

いまだこれあらざるなり。

誠ならずして、

いまだこれ動く者はあらざるなり。

ー孟子ー

 

仁や義などの徳に対して誠実になったならば、見て見ぬふりなどできない。

また、誠実でないのにそこに向かって動けた人はいない。

 

考えと行動を一致させることです。

陽明学((陽明学は中国の明の時代に、王陽明が興したもの。江戸時代の日本では、朱子学が盛んなのと幕府の利権もあり、表向きは禁止されていたが、教えには理が通っていることから当時の知識人は両方を学ぶことが多かった))ではこれを、「知行合一」と呼んでいます。

嘘偽りなく、考えと行動を一致させる、武士道の徳を実践できる人こそが本当の武士なのです。

がんばろう…

 

名誉

武士は、自分の命よりも名誉を重んじました。

名を汚さないこと。美しく死ぬこと。

そこに武士道らしさを感じますし、強く心を打たれます。

 

命より 名こそ惜しけれ もののふの

道をばたれも かくや思わん

 

花は桜木、人は武士

 

武士道とは死ぬことと見つけたり

 

日本人の死生観が表れていますね。

命よりも、全てに恥じない死に方を選ぶ。

桜のように儚く。しかし美しく。

 

武士は死ぬことを意識して生きていました。

ラテン語で「メメント・モリ(死を忘れるな)」という言葉もあります。

旧約聖書においてアダムが最初に感じたのは「恥ずかしい」という羞恥心でした。

 

恥を抱えて生きるよりは、潔く散りたい。

 

それが名誉という徳目だったのだと思います。

 

忠義

最後の徳目、忠義です。

この徳が一番理解しがたく、拒否反応を起こすのではないでしょうか。

 

国内では君主のために。大戦時は天皇、国のために命をささげたのです。

 

そんなことが徳だなんてあり得ない!

 

そう考える人も多いと思いますし、実際のところ僕自身もそれは納得できない部分も多かったです。

それは、現代の個人主義的な国家との違和感もあるのだと思います。

昔は国に個人が集まって社会を形成していたのです。

 

しかし、それもありますが忠義の本来の意味とは、天に対しての忠なのです。

決して国家や人に対するものではありません。

 

それを、権威を持つ人たちが、忠義と称して戦争の道具にした。

悪く言うとそういうことです。だから悪徳とされ、戦後は徹底的に叩かれたのだと思います。

 

忠義とは、自分が本当にその人や考えに対してなら命を預けられる!

という意志こそが何よりも重要だったのです。強制ではなく。

 

これを機に忠義への考え方が少しでも変わってくれたら幸いです。

 

まとめ

以上、僕の大好きな価値観、武士道についてまとめました。

 

戦後はGHQによって日本の教育からは消えてしまった日本の道徳教育。

アメリカを追いかけ、知識に偏った暗記教育は、戦後の経済復興では大きく役立ちました。しかし、その成長の先である現代では、もはや通用しなくなっています。

 

それに学問の目的も不明瞭です。学歴や就職のために学ぶことは本質的ではないと思います。古くからの日本の教育は人格形成のために学問をしていたのですが、戦後のGHQによる精神の植民地化によって失われてしまいました。

 

今こそ、道徳に目を向け、明治期のような和魂洋才(日本人としての誇りや文化をと、他国の良い技術を両立すること)を発揮したい。

その魂が大和魂であり、武士道なのだと強く感じる次第。

 

最後に、最初の吉田松陰の言葉に戻ろうと思います。

 

武士道とは何も国や主君に忠節を尽くす道だけを指すのではなく、

弱き己を律し、強き己に近づこうとする意志、

自分なりの美意識に沿い精進する

その志をさすのです

ー吉田松陰ー

 

儒教の名著『大学・中庸』にも同じような概念があります。

簡単に言うと、己を修めることが最終的に天下を治めることにつながるということです。変えられるもの、コントロールできるものは極論自分以外にはありません。

 

いつまでも自分の徳を高め続け、高い志に向かっていくこと。

自分にできることはそれだけなのかもしれません。

その過程で人は巻き込まれていくのでしょう。

 

 

本当に最後です。

伊達政宗

「義に過ぎれば即ち固く、仁に過ぎれば即ち柔く…」

と表現しています。

義に偏ると融通が利かない堅物になり、

仁に偏るとなんでも受容してしまう優柔不断な人物になってしまうということです。

 

何事も中庸をとることです。

 

どの徳目も素晴らしいものだと思います。

しかし、忠義に過ぎれば戦争に使われてしまったように、

過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 

どれもが揃った本物の武士を目指したいですね!

 

長くなりましたが、最後まで読んでいただいたこと、誠に感謝しております。一片の曇りなく。

 

参考図書

 

武士道 (PHP文庫)

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武士道 日本人であることの誇り

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論語 (岩波文庫 青202-1)

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孟子 (岩波新書)

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[現代語抄訳]言志四録

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伝習録 (中公クラシックス)

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葉隠入門 (新潮文庫)

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五輪書 (講談社学術文庫)

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[新訳]留魂録

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日本人の美意識 (中公文庫)

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論語より陽明学 (PHP文庫)

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[決定版]菜根譚

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大学・中庸 (岩波文庫)

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墨子 (ちくま学芸文庫)

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